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マッサン ネタバレ”最終回”を大予想!

マッサンの最終回は一体どうなってしまうのか?朝ドラマッサンはニッカ創業者の竹鶴政孝さんの物語をかなり忠実にここまで再現してきています。今後も実話に基づいた展開になると思われますので、ココでは、NHKの朝ドラマッサンの25週の最終回へ向けてのストーリーを竹鶴政孝さんとリタさんの実話で紐解いて、予想と合わせまとめてみたいと思います。

初代『ニッカウヰスキー』が全く売れなかった

余市で遂に初代のウィスキーを作って売り出すことに、こぎつけた竹鶴政孝だったが‥全く売れないウィスキーに頭を抱える事になる。

 

売れなかった理由は何だったのか?

現在でもくせのあるウイスキーは日本人には敬遠されがちなのだから当時の日本人が本場のウィスキーが飲みたいと思わないのは当然ですよね。

ジャーキーやジャンクフードのような濃いだけの味ではなく、日本食の微妙な味わいで育った日本人。その味覚を活かすには、竹鶴政孝の目指すウィスキーは全くあってないからだろう。

 

潰れかける工場を救ったもの

潰れかけていた、竹鶴政孝の工場だったが、強運にも海軍監督工場になった。

ニッカ(ニッカは日本果汁という前進の名前からきてる)はその御蔭で何とか生き延び大東亜戦争の集結まで配給用のウイスキーを製造することになった。

 

終戦後にあのウィスキーが誕生する!

実は竹鶴政孝の本当の理想は、更にこだわったウィスキー「グレーンウイスキー」を作ることだった。しかし今まで以上に個性のあるそのウィスキーには、特別な蒸留器が必要だった。

竹鶴政孝だったがそこでも又夢を見続ける男に賛同する出資者が現れる。それは現アサヒビール(朝日麦酒)の社長の山本氏だった。

お陰で、朝日麦酒の援助をウケた竹鶴政孝は西宮に西宮にカフェスチルを導入することに。そして遂にあの昭和の名品「ブラックニッカ」が誕生する。

 

エマとの関係がまさかの展開に‥

養女にしていたエマとマッサンエリーは仲良く暮らしていたが、この後予想外の展開になる。実際の竹鶴政孝とリタの養女リマとの関係はリマが大きくなるに連れ悪化していったという。

ドラマでも恐らく関係悪化は避けられないだろう。リタが晩年を迎えるまで仲直りはしなかったというが、果たしてドラママッサンでは、この点はどう描かれるのか‥

 


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新たに養子を迎え跡継ぎに‥

子供の出来にくい体質になったエリーの話は朝ドラ「マッサン」でも描かれたが、実際のリタと竹鶴政孝は跡継ぎがいないため悩んだ政孝は

1943年・戦争真っ只中にも関わらず今後を見据え、今の広島大学で醗酵工学を学んでいる姉の息子・威(たけし)を養子に迎える事になる。

 

1945年、戦争が終わり安物ウイスキー全盛の時代が‥

竹鶴政孝は「わしゃ三級のウィスキーなんぞ作らん」と息巻いていたが、出資者の頼みで作らざるおえない状況に‥

そこでマスターブレンダーをまかせたのが跡継ぎ候補の威(たけし)だった!

 

そんな中、妻リタに異変が‥

1956年 体調不良から札幌の病院に入院することに。病状は良くなることはなかったが、本人お希望で1960年に余市に帰ってくることを決意。1961年、リタは帰らぬ人となる。

自分の死が迫っているのを知っていたのでしょう。死に場所に苦労した故郷、余市を選んだところも意思の強いリタならではです。この時竹鶴政孝は「おばあちゃんが死んじゃった」と大泣きしたという。

マッサンでもエリーの存在は大きいですからね。正直エリーというパートナーがいなければ、マッサンの成功はありえなかった。頼りきってた相方をなくしたショックは想像できない。

 

■リタの略歴

  • 1896年 スコットランド、グラスゴー近郊の街に産まれる
  • 1918年 リタの妹、エラがグラスゴー大学で竹鶴政孝と知り合う
  • 1919年 クリスマスに竹鶴政孝がリタにプロポーズ
  • 1920年 リタと竹鶴政孝は2人で日本に帰国
  • 1922年 リタ、英語教師として働き始める
  • 1930年 生まれて間もない幼子であった房子を養子に迎える(後にリマと改名)
  • 1935年 余市に移り住む
  • 1956年 札幌の病院に入院。その後体調を崩しがちになり入退院を繰り返す
  • 1961年 1月17日、64歳で生涯を閉じる

 

死因は定かじゃないですが肝臓病、肝硬変といわれています。当時の医療は今ほど進んでいませんから他にも結核や癌、肺など慢性的な病気に苦しんだようです。リタの死後しばらくは抜け殻のようになったという。

 

それでも更に広がる夢

それでもやはりウィスキーバカ、竹鶴政孝の夢はリタの夢そう信じた竹鶴は再度立ち上がるり、さらなる理想に着手する、それは違った気候で熟成された原酒をブレンドし更に複雑で深い味わいのブレンデッドウイスキーを作ることだった。そして宮城県宮城町に遂に蒸留施設をつくってしまうのだった。

1967年、新工場建設の候補地の一つ宮城県を訪れた政孝。ひょんな事である川の水を口にする。その風味にピンときた政孝はブラックニッカをその水で割り飲んでみた。

「なんという味わいじゃ‥」納得した政孝はその水に惚れ込み、「ココに工場を作る!」と即決したろいう。

 

マッサンの最終回はどうなる

竹鶴政孝はその後は、世界を認めさせるウィスキーを作り日本を代表するような大成功を収めますが、ドラママッサンの最終回をどこで終わらせるのか?はまだ謎です。この流れで行くと、会長に就任し養子の威が社長に就任するところで終わるのでは無いでしょうか?
■リタ没後の政孝の略歴

  • 1965年、余市町の名誉町民に選ばれる。
  • 1969年:勲三等瑞宝章を受章
  • 1970年:ニッカウヰスキー代表取締役会長に就任
  • 1979年8月29日、肺炎により東京の病院で死去(享年85歳)

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